一目惚れした元カノの話

私には、高校一年生の頃に一目惚れして4年間片思いし続けた後付き合った、ハスキーボイスの彼女がいた。

たまに思うのは、彼女は私のことをどう思っているのかということである。さすがに忘れてはいないだろうけど、嫌われていないかどうかについては到底自信をもって答えることができない。女性は昔付き合っていた人のことを屁とも思わず、いつまでもまだ自分のことを大事にしてくれているのではないかと勘違いするのが男の性である。
 でも、元カノ・元カレにもいろいろある。私も数人の元カノがいるが、それぞれへの思いは違う。ある人に対しては特に何も思っておらず、ある人には悪いことをしたなと申し訳なく思っていて、ある人には元気にしてるかな、変な男に引っかかってないかな、もっと優しくしてあげればよかったなと思っている。さすがに復縁できないだろうかと思っている相手がいるわけではないが、それでもたま~にふとしたことで思い出して気にかけるようなことはある。女性にも、大事に思っている元カレが存在する可能性などはあるのだろうか。屁とも思われないような元カレではなく、少なくとも幸せでいてほしいと思われるような元カレでいたいな。なぜならその彼女が語る彼女の元カレは、まるで屁とも思われていないような元カレだったからである。それに彼女は私にとって思春期を生き抜く上での大きな支えだったし、彼女にとってもいくらかはそうであったはずだから。

コンフォートゾーンから抜け出すことについて

 誰でもコンフォートゾーンを抜け出すのは怖い。いつまでも安住していたいと思うだろう。そのほうが楽だから。でもそれはまるでチャレンジすることを忘れてしまったいわゆる”おとな”である。”こども”はなんでもチャレンジしたがる。この間学童施設で働いていた時も感じたことである。私が教室に入るとすぐに、子供たちは私のもとに駆け寄ってきて口々に「何才だと思う?」と話しかけてきたり、Tippy-toe(バレエをするときに使うつま先立ち)を見せてくれたりする。新しく習ったことを試して自分の中にあるエネルギーを放出したくてたまらないのである。私は、こんな明るいエネルギーに包まれたのは久しぶりだと感じた。もちろん素晴らしいエネルギーを持ってる大人もいて、そうした人と関わるときに受け取るエネルギーも素晴らしいものがある。しかし、子供たちの周りにいるときに受け取るエネルギーというのは、大人のそれが何か計算されているようなエネルギーなのに対して、まるでポップコーンを作るときのようにランダムに弾け飛ぶような印象だった。どちらが良い悪いかという話ではないが、あのはじけ飛ぶ感覚は彼らに固有のものなのかもしれない。

 話が横道に入りすぎたが、要はいつまでも挑戦することを諦めてはいけないということである。変わることを恐れてはいけないということである。

私は今日、道を歩いているおばあちゃんと素敵な会話を交わし、沖縄そばの2代目お兄さんと他愛もない会話をした。少なくとも成長はしている。Keep going

映画 「月」鑑賞記録

初投稿です。<(_ _)>

この度、池袋シネマロサにおいて宮沢りえさん、磯村勇斗さん主演の「月」を見てきました。2016年に実際に起きた相模原障がい者施設殺傷事件をモデルにしたこの映画ですが、もちろん準備はしてたものの、やはりズドンと”心”に残る重い映画でした。以下、感想です。

 障がい者に対する考えのみではなく、昨今「親ガチャ」ということばで語られる、人間が産まれたときに与えられるものに対してどう接するかということについて、広く問題提起を起こしている映画である。人間は出自を選べず、もって生まれたもので日々を生きなければいけない。それは、持つ者の集団にとっては楽園で、大半が属する持たざる者の集団にとっては地獄の世界を作り上げてしまう。もちろんそうした、生まれた階層によって生き方が決定されたり、不当な扱いを受けたりするなどの問題は遠い昔から存在していた。昔に比べたら差別の少ない公平な社会になっているのかもしれない。Factfulnessが示すように世界は徐々に良くなっているのは事実だろう。また、研究などによって、この世界がどれだけ不公平な社会であるかというのが示されてきている。2023にノーベル経済学賞を受賞したクローディアさんの、いかに女性がglass ceilingによって不当な扱いを受けているかを明らかにした研究はその最たるものであろう。こうした研究が出てくるのは歓迎すべきことであるし、こうした隠れた事実を明るみに晒し、それを政策決定にも活かし、持つ者も持たざる者も幸せに生きられるような社会になると望ましい。
 話を映画に戻すと、サトくんが入居者を殺す際、丁寧に、丁寧に「あなたは心がありますか」と聞いてから事に及ぶシーンがあまりにも印象的である。彼は間違いのないよう、彼が人間だと看做さない、意思疎通のできない患者にのみ凶器を振り上げていく。まるで行政の手続きであるかのように。そう、劇中で彼の口から述べられている通り、彼は国のために事を行っているのである。実際、劇中で、彼は利他主義的で無私の人間として描かれているように思う。殺害も自分のためではなく、社会のため国のため、殺されていく人たちのために行っているのである。ある寝たきりの患者を殺す際には「かわいそうに」という言葉さえかけている。まるで悪意のない新しいタイプの犯人像がここに出来上がっている。
「かつてあったことはこれからもあり、かつて起こったことはこれからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。」
何事も時とともに風化してしまうが、この言葉を胸に、考えることを辞めてはならない。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
良い一日を!